あなたは今、どんな目標があるでしょうか?
会社で昇格したり、資格試験に合格したり、コレクションをコンプリートしたり、SNSのフォロワー数を増やしたり、目標の数は人の数だけにはとどまらず、星の数程あると思います。
私の知り合いに、目的もないままに、様々な資格試験に合格することを目標としている人がいます。
その人は、本当に多趣味でギター、ダイビング、バイクなど様々な趣味を持っていたりもします。
でも、その人と会話をしていると、何か足りないのです。
それは会話の中に、肝心の目的が存在しないからなのです。
目的・・・最終的に成し遂げようとする事柄であり、目指すべき到達点
目標・・・目的を成し遂げようするために設けた具体的な手段
私は思いました。
それって、現実から目を背けるために設定した目標なのではないのか? と。
- どんなに目標を達成しても満足できない
- 何かが足りない感じがある
- じっとしているより動いている方がなんだか安心する
- こだわり・執着心が強い
- 生き急いでいると言われることがある
- 他人の評価を気にしすぎるところがある
これらに該当する項目が多い人は、本当に解決しなければならないことがあるが、それと向き合うことに対して、知らず知らずのうちに避けてしまっているのかも知れません。
具体的にいうと、本当は向き合わないといけない現実があるのにも関わらず、それから気を紛らわせるために、とりあえず目標を設定している可能性があるということです。
それは、試験勉強をしなければならない時に、無性に部屋の掃除がしたくなってくる、あの感覚と似ているかも知れませんね。
そして、本当に向き合わなくてはならない問題。
それは往々にして、親との人間関係であったりします。
- 子どものころ、愛情不足を感じていた。
- 偏った価値観を押しつけられていた。
- 身に恐怖を感じる経験をした。
子どもは一人では生きていけません。
誰かに依存するしかないのです。
依存しないと生きていけない人に認められたい。
それは、当たり前の欲求でしょう。
それにも関わらず、認めてもらえなかったらどうでしょう。
自分がこの世界に生まれてきたことに疑問を持つかも知れません。
または、甘えたいのに甘えられないまま、自分にも他人にも厳しい大人になってしまった人もいるかも知れません。
そんな答えの出ないもやもやが心の奥にあって、喉の奥に刺さった小骨のように刺さっているのではないでしょうか。
では、どのように考えれば良いのでしょうか?
それは、そのような状態をいったん認識するだけでOKです。
過去を思い出し認識する。
それによって起きている事実を認識する。
認識するだけにとどめ、良いも、悪いも考えない事が大切です。
“くさいもの”にふたをするのではなく、”くさいもの”は”くさいもの”として、それを認識する。
それができると、少しは気持ちの整理ができ、前向きな気持ちになりませんか?
親から自立したと思っていても、実は幼少の頃のもやもやを引きずっていることもあります。
人によってはPTSDなど心に大きな傷を負ってしまっているのも現実で、幼少期の親との人間関係が人に与える影響の大きさがいかに大きいものかと考えずにはいられません。
そのような人は専門の病院に相談することを検討してみても良いかも知れません。