あなたは、嘘をついたことがありますか?
おそらく、今までの人生の中で、嘘をついたことなど、まったくないという方は、ほとんどいないと思います。
当然、私も嘘をついたことがあります。
私は、すべての嘘が「悪」であるとは思いません。
大げさかも知れませんが、食べないと生きていけないのと同じように、嘘をつかないと生きていけない面もあるからです。
しかし、自分よがりな嘘はアイデンティティの整合性を失わせ、脳のエネルギーの無駄遣いをし、判断力を鈍らせるなど、多くの負の要素を持ち合わせています。
もし、あなたが少しでも、心の奥にわだかまりのようなモヤモヤがあったり、人と会うのがおっくうだったり、生きづらさを感じているようであれば、自分の心に「嘘」がないか、一度、自問自答してみることをオススメします。
自分の心にある「嘘」を自覚するだけで、頭がすっきりしてくるのを感じるでしょう。
そして、自分の心にある「嘘」と向き合うことは、新しい自分に気付くきっかけになるかも知れません。
今回は「嘘」をテーマに考えてみたいと思います。
一言で「嘘」といっても、大きく分けて二つに分類することができます。
一つ目は「相手のためにつく嘘」、二つ目は「自分のためにつく嘘」です。
では、一つずつみていきましょう。
相手のためにつく嘘
- 相手を傷つけないためにつく嘘
- 話を合わせるためにつく嘘
- 社交辞令、お世辞
人間関係を良好に保つための些細な嘘で、嘘がバレたとしても、大きな問題にはならないことが多いです。
相手が嘘だと分かっていても、感謝されることすらあります。
ただし、そのような嘘をつかれるのを良く思わない人もいるので、見極めが必要です。
自分のためにつく嘘
- 見栄を張るため、自分を良く見せるためにつく嘘
- 自信がないためにつく嘘
見栄を張るため、自分を良く見せるためにつく嘘というのは、SNSなどでやたらリア充を演出したりする人に見られる傾向がある嘘です。
「自信がないためにつく嘘」を掘り下げて見てみましょう。
- 本当の自分を出すと嫌われると思っている
- 本当の自分を出すと駄目なやつと思われると思っている
- 本当の自分では生きていけないと思っている
- 本当の自分を出す勇気がない
これらの嘘を自分もついているかも知れないな、と思った人もいるかも知れません。
これらの嘘が多い人は、例えうまくいっていたとしても、生きづらさを感じているでしょう。
そして、これらの嘘は少しでも深い人間関係になれば、すぐ相手にバレてしまいます。
だから、これらの嘘をつく人は、少しでも深い人間関係になることをどこか恐れている人かも知れません。
私は、これらの「自分のためにつく嘘」というのは、デメリットしかないと思っています。
理由としては、
- 嘘をついたことを隠すための嘘が必要になってくるから
- 一度ついた嘘は、嘘を認めない限り、その後もつき続けないといけないから
- 嘘をついているうちに、自分の本心が分からなくなるから
- 嘘をついて仮にうまくいったとしても、それは嘘の人格に対しての経験値になり、本当の自分に対しての経験値にはならないから
- 真実と向き合わない限り、真実を変えていくことはできないから
- 嘘は結局バレる。バレなくても違和感が残るから
まとめ
感受性が豊かな子どものころにつく嘘と、大人になってからつく嘘は全く違うものです。
子どもは、自分がついた嘘は嘘だと分かっています。
しかし、大人になるにつれ、自分がついた嘘に気付けなくなっていくのです。
私は、子どもの頃、なぜ大人達は決して楽しそうではない仕事に、毎日出かけるのだろう? と思っていました。
でも、自分が会社員になってからは、「そういうもの」というカテゴライズされた枠の中で、思考停止していきました。
思考停止つまり、「見えているものを、見ないようにする」というのは、まぎれもない「嘘」なのではないでしょうか。
一見幸せそうなのにも関わらず、生きづらさを感じている人は、「見えているものを、見ないようにする」という「嘘」をついているのかも知れません。
そして、一度、自分が当たり前だと思っていたことが、本当に真実なのかどうかというところまで立ち返って、再確認をしてみても良いかも知れません。